2001年11月30日 朝日新聞
【生命活動解明へ進む「糖鎖」研究】
【ポストゲノムのかぎに】
生命活動には
たんぱく質が欠かせない。その
たんぱく質の働きに大きな役割を果たしているのが「
糖鎖」という物質だ。いろいろな種類の糖が鎖状につながったもので、これにも様々な種類がある。
たんぱく質にくっついたり外れたりしてその性質を左右している。ゲノム解析を終えた次の課題である
たんぱく質研究のかぎの一つとして注目を集めている。
たった一つの糖鎖がたんぱく質にくっつかなくなっただけで生物が死んでしまう。
大阪大の谷口直之教授(生化学)が、マウスを使って実験したところ、こんな結果が出た。
遺伝子を操作して酵素の一つを働かなくしたマウスをつくった。
この酵素は
糖鎖を
たんぱく質にくっつける役割がある。しかし、遺伝子を操作したマウスでは
糖鎖がつかない。マウスは生後1ヵ月以内に死んでしまった。
この
たんぱく質はまだわかっていないが、生物の生存に欠かせないとみられ、
糖鎖の変化で働きが変わったらしい。
「
糖鎖が生命にかかわる重要な役割をしている証拠です」と谷口教授。
一つの
たんぱく質に
糖鎖がつく場所はたくさんあり
糖鎖の種類も多い。
糖鎖がつくと、別の
たんぱく質とつながりやすくなったり、酵素に分解されにくくなったりすることもある。
たんぱく質の構造の多様性はぐっと増すのだ。
さらに
糖鎖は病原体の進入口やホルモンなどの受け取り口にもなる。
糖鎖がついた糖
たんぱく質は「細胞の顔」として細胞同士の認識や情報の伝達にも使われる。
糖鎖の働きは実に多様だ。
米国立保険研究所(NIH)は5年間で3400万ドル(約40億円)のプロジェクトを始めた。ベンチャー企業も研究を進めている。
日本では新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)が
糖鎖の合成にかかわる遺伝子の解明に取り込む。
「一つの
たんぱく質が機能を果たすようになるのに数十種類以上の遺伝子がかかわる。
糖鎖をみないと
たんぱく質の機能はわからない」と、成松久・産業技術総合研究所分子細胞工学研究部門グループ長は話す。
北海道大の西村紳一郎教授ら、NEDOのグループは、コンピューターで制御しながら
糖鎖を短時間で自動合成する装置を開発。数ヶ月かかっていた合成を数週間でできるようにした。現在、約20種の
糖鎖の合成が可能だという。
アルツハイマー研究にも一石
糖鎖の働きはアルツハイマー病の研究にも一石を投じている。製薬会社が開発を進める治療薬が、ねらいとは別に
糖鎖まで影響を及ぼす恐れがあることを、理化学研究所のチームが明らかにした。このほど米科学アカデミー紀要に発表した。
アルツハイマー病では脳内に、
たんぱく質の一種がたまっている。これにかかわるのがBACE1という酵素だ。
「ならあその働きを抑えればいい」との考えから、BACE1阻害剤とう薬の開発が進められている。ただ、酵素の本来の働きは不明だった。
理研の橋本康弘リーダーと西道隆臣リーダーたちは、BACE1が
糖鎖の量を調節していることを確かめた。
その結果、体にどんな副作用がでるのか。いま予想されるのは免疫異常だが、
糖鎖には様々な種類があり、ほかには出ないと言い切れない。
橋本さんは「BACE1と
糖鎖の関係がより詳しく分かれば副作用の全ぼうもつかめるのではないか」と話している。
ヒトとサルの差 進化過程で注目
糖鎖は、進化の研究でも注目される。
たとえば、人とチンパンジーの関係。ゲノムの差はわずか1%程度とされるが、どの遺伝子が違うのだろうか。
理研の鈴木明身ディレクターらは、ある遺伝子がチンパンジーでは働いているのに、人の場合には働いていないことに気づいた。
この遺伝子は、ある種の糖に水酸基をくっつける酵素をつくる。このような酵素は、他のほ乳類でも働いていることが分かっている。
ところが、これまで調べられた人は人種に関わらず、すべての人で働いていなかった。
この遺伝子の変化は、進化の過程で、人とチンパンジーが分かれた後におきたとみられる。
ただ、興味深いことがある。チンパンジーでもほかの動物でも、脳の場合は、この酵素の働きが抑えられていることがわかった。この遺伝子は、脳の進化に関係しているのかもしれない。
「新しい遺伝子ができるばかりでなく、遺伝子がなくなることも進化のプロセスでは重要だ。この酵素が働いていないことが脳の機能にプラスになったのか。進化の中で果たした役割を解明したい」と鈴木さんは話している。